会津藩糞尿降伏事件〜関連するプレス掲載分
 今回NHK大河ドラマ「八重の桜」において山村竜也氏が時代考証を担当するについて以下の事件を広く周知いたします。
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2008年9月15日
ならぬ事はならぬ 会津魂
 お殿様とは、今の日本人にとって、どんな存在なのだろう。例えて言うなら「へそ」みたいなものではなかろうか。  歴史的役割はすでに終えているが、地方によっては心のよりどころ、中心に位置し続ける。そんな物語を、まずは福島県の会津から始めよう。
◇ 昨年2月16日夜のことだ。  TBSの歴史クイズ番組で流れた出題が、会津の人たちの心を逆なでした。  「明治元年の戊辰戦争の際、会津若松城に籠城(ろうじょう)した人たちが城を明け渡した、とんでもない理由とは?」  正解がなんと「糞尿(ふんにょう)が城にたまり、その不衛生さから」。  会津若松市役所には翌朝から「おもしろおかしく史実をねじ曲げている」「抗議すべきだ」と怒りの声が多く寄せられた。  旧会津藩28万石の9代藩主、松平容保(まつだいら・かたもり)が京都守護職となって幕末の表舞台に登場して以来、会津の人たちは時代の荒波に翻弄(ほんろう)され続けた。  最後は朝敵扱いされ、薩長新政府軍の猛攻の前に、籠城すること1カ月。城下では白虎隊や婦女子の自刃など数々の悲劇が起きた。死者は数千人……。  人々の心に深く沈殿した、いわれなき屈辱と悲惨な記憶は、時として激しく噴き上がる。  録画テープを取り寄せた市長の菅家一郎(かんけ・いちろう)(54)も「会津人への侮辱だ」と声を震わせ、TBS社長に抗議文を送りつけた。  4月8日、TBSは非を認め謝罪放送を流す。後日、社長が定例会見の場でも謝罪した。  糞尿騒ぎの2カ月間。東京で暮らす会津松平家の長男、保久(もりひさ)(55)はじっと成り行きを見守った。容保のひ孫で、現在、NHKエンタープライズのプロデューサー。  謝罪放送の翌日、こんなメールを市長あてに送った。  「松平家の一員としても非常に不快に思っておりました。市長はじめ市民の皆様も同じ思いを持ち、実際に行動を起こして頂いた事に深く感動し、うれしく思っております……」  菅家はさっそく市役所のホームページで公開した。  抗議の先頭に立った一人、会津若松商工会議所会頭の宮森泰弘(みやもり・やすひろ)(65)は振り返る。  「振り上げた拳を、あのメールでようやく下ろすことができた。我々の先祖は、松平家とずっと一緒に生きてきた。今でも精神的なシンボル」
◇2代将軍徳川秀忠(とくがわ・ひでただ)の子で、藩祖の保科正之(ほしな・まさゆき)が会津に入封したのは、366年も前。3代藩主から松平姓となった。  藩士の子弟に会津魂を育んだ7カ条の「什(じゅう)の掟(おきて)」は、今でも子どもたちに教えられている。「うそを言うてはなりませぬ」「弱い者をいじめてはなりませぬ」……。最後の一節が「ならぬことはならぬものです」。  ところで、「殿様」が糞尿騒ぎを知ったのは、随分あとのことだった。  保久の父で、13代当主の保定(もりさだ)(83)は「息子がそんなメールを出したことも、僕は知らなかったよ」と話す。  2年前、磐梯山と猪苗代湖に臨むマンションに、妻と2人で移り住んだ。近くに藩祖の墓がある。  東京で生まれ育ち、大学を卒業して、農林中央金庫に29年、勤めた。  あまり知られていない話がある。  保定は定年退職後、人柄を見込まれ、「靖国神社の宮司に」と打診があった。辞退したが、「どうしても」と要請された。  靖国神社は、戊辰戦争での新政府軍側の戦没者を慰霊したのが、その始まりである。  3カ月、悩んだ。他の神社ならともかく、最終的に断った。  「薩長がまつられ、賊軍とされた会津の戦死者がまつられていないのに、会津人としてお受けするわけにはまいりません」  ならぬことは、ならぬ。会津は戊辰の残照の中にある。
(このシリーズは文を加藤明、写真をフリー大北寛が担当します。文中敬称略)
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2008年4月8日
会津城「糞尿問題」で謝罪放送
  TBSが放送したバラエティー番組で、会津藩が若松城を開城した理由を「糞尿が城内にたまったため」としたことに会津若松市が抗議していた問題で、同局は2008年4月8日、謝罪の放送をした。放送は昼の情報番組「ピンポン!」の終了直後50秒にわたり、「(開城の)主な要因である『ほかの藩からの応援の望みが絶たれたこと』や『物資が枯渇したこと』などに言及せず、『糞尿が城内にたまったことが主な要因』であるかのように伝えた」ことを謝罪する文面を画面に表示し、それを男性アナウンサーが読み上げた。
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2008年4月1日
TBSが会津若松市に謝罪 「若松城」の糞尿放送で
 TBS系テレビ番組で福島県会津若松市の「若松城」に関する説明が謝りだとし、会津若松市などが訂正と謝罪を求めていた問題で、TBSは08年3月31日に「結果的に会津若松市の方々の心情に配慮を欠くことになった」と謝罪した。 問題となった番組は08年2月16日放送の「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学クイズ100連発」。「若松城」が戊辰戦争時に落城した原因を「糞尿が城にたまり、その不衛生さから」とする答を正解にした。また、旧幕府軍が「若松城」を新政府軍に明け渡したことを「旧幕府軍が城から逃げ出した」と表現した。 同市では、こうした誤った放送がされると「若松城」のイメージを大きく損なう恐れがあるため内容の見直しを再三申し入れたが、放送されたとして、08年3月24日付けでTBSの井上弘社長宛てに抗議文を送っていた。
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2008年3月31日
TBSが会津若松市に謝罪も話し合い継続
 TBSが放送したクイズ番組で、福島県会津若松市の鶴ケ城が戊辰戦争時に落城した原因を「城が不衛生だったから」としたのは不快だとして、市などが訂正と謝罪を求めていた問題で、TBSは31日、菅家一郎会津若松市長などに「結果的に会津若松市の方々の心情に配慮を欠くことになった」と謝罪した。
 番組のプロデューサー2人が情報制作局長名の回答文を市などに持参した。それによると、城明け渡しの原因として物資が枯渇していたことなどは文献などで認識していたが「バラエティークイズ番組ということもあり、専門家と相談し、ふん尿が城内にたまっていたことを正解とした」と説明。「不快な思いにさせることは本意ではなく深くおわびする」としている。また番組の司会者が「旧幕府軍が城から逃げ出した」と表現したことも「不適切だった」と謝罪した。市長は「回答は一定の評価ができる」としたものの「事実認識が違う。回答をもって終わりとしているのは納得がいかない」と話したという。。
 TBS広報部は「話し合いを続ける」としている。番組は2月に放送された「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学クイズ100連発!」。市は「すべての会津人の心情を踏みにじるもの」と抗議文を送っていた。
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2008年3月29日
クイズ番組で歴史ねつ造? TBSに関係者激怒!〜会津若松城の明け渡しは「糞尿」原因?!
 TBSの歴史クイズ番組で、戊辰(ぼしん)戦争の会津若松城に関し史実と異なる問題を出したとして、会津若松市がTBSに抗議文を送る騒動が起きている。クイズでは旧幕府軍が城を渡した原因を「糞尿」と決めつけられたため、白虎隊の末裔たちは“この前の戦争”の怒りが再燃。フンまんやるかたない様子だ。
「事実をきちんと踏まえず、視聴者に誤解を与える報道とはいかがなものか。そうした問題に一石を投じるためにも抗議をすることにした」
 会津若松市の菅家(かんけ)一郎市長は、28日の記者会見で、TBSへの強い不快感をあらわにした。
 問題の番組は2月16日放送の「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学クイズ100連発」。ロンドンブーツ1号2号が司会、久保純子が進行を務め、タレント、文化人ら20人が解答者として出演した そのなかで、若松城について「旧幕府軍が城を明け渡したとんでもない理由とは」との問いに対し「糞尿が城にたまり、その不衛生さから」が正解と放送された。
 抗議文では、会津藩が城を明け渡した理由について、他藩からの応援の望みが絶たれたことや、1カ月の籠城による傷病兵の増加、物資の枯渇など、さまざまな要因が重なったため、と説明。糞尿問題が、すべてであるかのように放送したことは「視聴者に著しい誤解を与える」とTBSに訂正と謝罪放送を要求している。
 じつは、抗議は今回が初めてではなかった。
 放送前、番組の制作会社から会津若松市の観光公社に「戊辰戦争の際、城内にはどのくらいの数のトイレがあったのか」と問い合わせがあり、質問の理由を聞いた担当者らが「それは史実と違う」と放送中止を申し入れていたのだ。だが「収録も終わり編集できない、と言われた」(同市観光課)と地元のアピールを無視した形の放送となった。
 この騒動、専門家はどう見るか。幕末の会津藩に関する多数の著書があり、会津史学会の会員でもある直木賞作家の中村彰彦氏は「そんな放送をされたら、多くの人が亡くなったあの戦争が、糞尿譚や尾籠な笑い話になってしまう。死者を冒涜する曲解ですよ」と断言する。中村氏は、5000人が籠城した戊辰戦争経験者の回想録の一部に「籠城中、持ち場から離れられず、厠に行けなくて野糞をする人もいた。それを踏んで転んだりと、始末に苦労したといった記述はある」と解説。その上で「約10万坪の敷地がある若松城は、深いお堀に囲まれ、糞尿だって始末はできた。それだけで降伏をしたなんて、あり得ない話で、あまりにも史実の曲げすぎです」と指摘する。
 放送前に市側が、制作会社に糞尿話の引用先をたずねると『戊辰戦争速記録』という歴史書の名を挙げたというが「そんな本は聞いたこともなく、そんな史料をあげること自体が、おかしい」と中村氏は失笑する。
 複合施設「赤坂サカス」のオープンに沸くお江戸のTBS城は極めて旗色が悪い。28日、夕刊フジの取材に「抗議文を受け取ったばかりで、出題の経緯や番組内容が歴史的事実に基づいていたかどうかなど、これから検証してから対応したい」と回答した。果たして白旗をあげることになるのか−。
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2008年3月28日
TBS 会津城は「糞尿たまり落城」会津若松は猛抗議
 (www.asahi.comより)  福島県会津若松市は28日、TBSが2月に放映した歴史クイズ番組の「正解」が、「視聴者に誤解を与え、会津人の心情を踏みにじった」などとして、同社と番組制作会社に抗議文を送ったと発表した。謝罪と訂正を求めている。  問題としているのは、2月16日夜に放送された「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学クイズ100連発!」。この中で、戊辰戦争の際に旧幕府軍が会津若松城を明け渡した理由を問うクイズの正解が「糞尿(ふんにょう)がたまり、その不衛生さから」と紹介された。  市によると、放送前に内容を知り、再三見直しを要求したが聞き入れられなかった。放送直後からは「抗議すべきだ」とのメールが市民から殺到。市議会からも毅然(きぜん)とした対応を求める声が出たという。  市側は抗議文で「落城は、同盟諸藩の降伏で他藩の応援の望みが絶たれたことや、籠城(ろうじょう)による物資の枯渇など様々な要因が重なったためだ」と番組の正解を批判。同日記者会見した菅家一郎市長も「義を貫く会津武士道に生きた先人と若松城を郷土の誇りとしてきた、すべての会津人の心情を踏みにじるものだ」と怒りをあらわにした。  一方、TBS広報は「抗議文の内容が確認できておらず、コメントできない」と話している。
抗  議  文
有限会社リーライダーす 代表取締役 李 闘士男 様
 貴社が制作し、株式会社東京放送にて平成20年2月16日午後7時より放送された「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学クイズ100連発」という番組内において、当市の若松城(番組内では会津若松城)を題材とした「旧幕府軍が城を明け渡したとんでもない理由とは」という出題に対し、「糞尿が城にたまり、その不衛生さから」という解答が正解とされ、あたかもそれが全ての理由であるかのように放送されました。 しかしながら、旧幕府軍、つまり会津藩が城を明け渡した原因は、戦況の悪化や同盟諸藩の降伏により他藩からの応援の望みが絶たれたことや、1ヶ月にも及ぶ籠城による傷病兵の増加や物資の枯渇など、様々な要因が重なったものであり、排泄物の処理が困難であったという事が主な開城理由ではなく、この度の放送は視聴者に著しい誤解を与えるものであり、本市をはじめ数多くの方々に不快感を与えたものであります。 また、本市と財団法人会津若松市観光公社は、貴社からの資料等の問い合わせにより、番組放送直前に今回の放送内容を知るに至り、若松城のイメージを大きく損なう恐れがあること等から、放送内容の見直しを再三貴社に申し入れたにもかかわらず、放送された経過にあります。 更には、同番組内において司会者が、旧幕府軍が若松城を新政府軍に明け渡したことを「旧幕府軍が城から逃げ出した」と表現しておりますが、会津藩をはじめとする旧幕府軍は、籠城期間中、城内に一兵も敵の侵入を許さず、降伏にともなって開城したのであり、「逃げ出した」とするのは、会津をめぐる一連の戦い、いわゆる、会津戦争に参加した全ての将兵と戦没者を侮辱するものであり、明らかに史実を歪曲していると言わざるを得ません。 本市の放送見直しの申し入れにもかかわらず、このような歴史を歪曲し視聴者に誤解を与える放送がされたことは、最後まで非戦の道を探りながらも、朝敵として戦わざるを得ない状況に追い込まれ、最後には無念の降伏をせざるを得なかった会津藩を愚弄し、引いては本市の印象を不当に貶め、義を貫く会津武士道に生きた先人と若松城を郷土の誇りとしてきた全ての会津人の心情を踏みにじるものであり、到底受け入れることができるものではありません。  ここに厳重に抗議するとともに、今回の放送に対する本市市民への謝罪と釈明について貴職からの誠意ある回答を求めます。
平成20年3月24日
会 津 若 松 市 市長  菅 家 一 郎
財団法人会津若松市観光公社 理事長  宮 森 泰 弘
会津若松観光物産協会 会長  菅 家 一 郎
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*TBSのお詫び記事
*「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学 クイズ100連発!」に関するページ
*山村竜也が出演した事実を示すニュースソース
*会津若松市に対するTBSの謝罪文
*当時会津若松市長だった菅家一郎氏のそのときのブログ記事
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 以上の通り、会津藩糞尿降伏事件の顛末をプレス発表を中心に掲出して見ました。会津若松市HPで掲示する謝罪文でも解るとおり、「専門家と相談し、ふん尿が城内にたまっていたことを正解とした」としている通り、3名が関与していることは明白の事実です。そして何より、この3名のうち山村竜也が出演していることは重大な一事でしょう。
 この一例を採っても山村竜也が会津藩糞尿降伏説を唱えたのは事実であり、そしてその件について訂正した記事は存在しません。こうした人物が東北の復興を願って放映される「八重の桜」の時代考証に就任することに疑義を感じ、広く周知するためにここへ記します。
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